邪馬台国検証

U、邪馬台国に至る!
 魏志倭人伝・後漢書・宋書と検証してきて、卑弥呼は邪馬台国の女王ではなかったことが明らかになりました。そして、卑弥呼の女王国「邪馬壹国」とは別の、大倭王の君臨する「邪馬台(臺)国」が存在していたことも分かりました。つまり、邪馬台(臺)国とは、大倭王の君臨する「臺」、つまり、この列島の都を意味していました。その邪馬台国の大倭王が、この列島のみならず朝鮮半島にまでその勢力を伸ばしてもいました。その大倭王が、倭の5王でした。その倭の5王の後の邪馬台国の姿が隋書に描かれていました。
   


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(5) 隋によって大陸の王朝が統一される
 中国は、後漢以後分裂を繰り返し、北朝である鮮卑族の北魏と、南朝である漢民族の宋によって南北朝時代に入ります。そして、北魏の流れにある楊堅は、581年隋を建国し、589年南朝陳を滅ぼし、後漢以来、再び統一王朝を築きます。すなわち、鮮卑族によって大陸が統一されたことにもなります。
 この大陸の王朝が隋によって統一されたことは、この列島にも大きな影響を及ぼします。
 大陸の王朝が分裂していた時代は、東アジア支配の思惑から、この列島を影響下に置こうとするために、この列島が重要視されることもありました。この列島の勢力も、大陸の王朝との交流が、自らの支配のお墨付きをもらうといった思惑もあり、朝貢することが重視されてもいたようです。
 ところが、大陸の王朝が統一されますと、以前にも増して、その覇権的傾向が強まり、この列島を大陸の王朝の属国とする扱いが強まります。言ってみれば、アメリカが、カリブ海を自分の庭かのような視点で見るようなものでしょうか。   

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