私はこうして『邪馬台国』に到達した!
(3) 現地調査(奈良大和編) 

1)まず、奈良国立博物館へ  
 第2首は、本当に奈良大和三山の香具山で詠まれたのでし
ょうか。海も無く、鴎もいない、ましてや『あきづ島』、トンボ
のような形をした島などどこにも見えません。
 あるいは、その歌の詠まれた時代には、海があったのかも
しれません。とにかく、現地に行って、この目で確認するしか
ありません。
 まず、奈良国立博物館へ行きました。
 ちょうど、その頃、第56回正倉院展が開催されていました。
 あの鑑真による豪快かつ華麗な筆さばきの書に感動し、また
数々の展示物を拝観させていただきました。それと、気になって
いたこともあり、博物館の関係者の方に訊ねることにしました。
 一つは、正倉院は、聖武天皇の遺品が東大寺に献上された
ことから始まっていると言われていますが、どうして聖武天皇が
そんなに宝物を持っていたのかということです。
 他にも天皇はいたのでしょうが、どうして聖武天皇だけがそれらを手にしていて、どうして『献上』されたのかを疑問に思っていました。
 その『回答』は、『代々、受け継がれてこられたのでしょう』ということでした。
 では、どうして、その後も引き継がれていかなかったのでしょう。
 また、最高権力者であった聖武天皇が、どうして『献上』なのでしょう。『寄贈』ならまだ分かるのですが・・・
 二つ目には、どうして、『奈良』と呼ばれるようになったのかということです。
 それについては、『私には分かりません』ということでした。
 最後に、聖武天皇の宸筆は残されていないかということです。
 そのものを見ることはできませんでしたが、『雑集』が聖武天皇の作品で、そこに残されているということでした。
 その一部を、正倉院を紹介する書籍で見ることができました。
 聖武天皇の文字は、繊細でとても綺麗な筆さばきでした。
 また、『奈良国立博物館』という正面玄関に掲げられている表示は、その『雑集』にある聖武天皇の文字を参考にして造られているということでした。
 そして、多くの謎と疑問を残したまま、明日香の地へと向いました。



2)高松塚古墳にて 
 2004年11月14日、当時、高松塚古墳が話題になっていたので、まずは、そこへ向かいました。大きな関心が集まっていましたから、観光地としても整備されていて、その駐車場の横には歴史公園館があり、とりあえず予備知識をと、入館することにしました。
 そして、その館内に入ると、何と、その正面の壁にあの万葉集第2首が、大きく表示されていました。やはり、奈良大和において、重要な意味を持った歌のようです。その横には、綺麗な写真も展示されていました。天の香具山から国見をした歌の横に展示されているのですから、その香具山からの映像かと思いましたら、甘樫丘から撮影された畝傍山の写真でした。
 どうして、香具山からの写真を展示しないのでしょう。不思議に思いながら眺めていますと、そこに数名の観光客が入って来られました。同じように、その歌と映像を並んで見ていますと、その中の一人が、「海原が詠まれているけど、奈良盆地に海は無いよなあ」と疑問の声をあげられました。
 『やはり、みなそう思うよなあ』と聞いていますと、近くの受付にいた女性がすかさず近寄って来て、「当時、香具山のそばにあった埴安の池を海に見立てて詠まれたものです」と説明していました。
 「へえ、そうなんだ」と納得されたのか、その人たちは、次のコーナーへ移動されました。
 しかし、私には、この歌が奈良盆地で詠まれたなどとは、どうしても思えませんでした。空想の産物であるなら、別にどこでもいい訳です。奈良でなくても、九州でも四国でも関東でも、どこでも成り立つことになってしまいます。
 私は、その歌人は、広い国原や雄大に広がる海原を眺めながら、この歌を詠ったとしか思えませんでした。空想どころか、潮の香りすら漂ってくるほどに写実的な歌に思えました。
 そして、その歴史公園館を出て、高松塚古墳へ向かいましたが、そこは保存のための工事中で、すぐ側にある高松塚古墳壁画館に入り、石室の壁面がリアルに再現されたレプリカを見ました。そこには、東に青龍、西に白虎、北に玄武、東に太陽、西に月、天井に星宿という当時の唐の思想に基づいて埋葬されていることが分かりました。盗掘で壊された南には朱雀があったと考えられます。また、人物も描かれていて、その人物は唐風の服装で描かれています。
 どうして、唐風の埋葬形式なのでしょう。墓は、埋葬された人物の象徴でもありますから、そこに埋葬された人物は、唐王朝に関係する人物だとも考えられます。その古墳が造られた時期は、西暦700年前後と見られていることから、その当時、唐からの渡来人がやって来ていたとも推定できます。
 どういった人物が埋葬されたのでしょう。
 ということで、いよいよ大和三山に向かいました。



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高松塚古墳壁画館

    

(2004,11,14 10:05  高松塚古墳壁画館)