(1) 万葉集との出会い

(2) 現地調査 (琵琶湖編)

(3) 現地調査 (奈良大和編)


(4) 現地調査 (奈良大和編Ⅱ)

(5) 現地調査 (北九州編)

(6) 現地調査 (北九州編Ⅱ)

(7) 再度万葉集に立ち返る

(8) 中国の史書に、都『やまと』を求めて

(9) 卑弥呼は『邪馬台国の女王』ではなかった


(10) 『倭の5王』は、邪馬台国の大倭王だった

(11) 閃光が走る、『えっ、邪馬台国は出雲!?』

(12) 『邪馬台国は出雲』・・・その確証

(13) 出雲に『やまと』があった

(14) 保護されていた『鴎』・・・ウミネコ

(15) 『天の香具山』発見!

(16) 持統天皇も見た『天の香具山』

(17) 滅ぼされた『邪馬台国』

(18) この列島を占領・征服した唐王朝

(19) 歴史を改竄した唐王朝

(20) 万葉集に詠われていた『邪馬台国』

(21) 万葉集に残されていた卑弥呼の歌

(22) 今に至るまで徹底している唐王朝の支配




(メイン)   (邪馬台国の徹底検証) 


邪馬台国発見
  

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」



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 江戸時代から「邪馬台国論争」が繰り広げられてきていますが、未だに結論は出されていません。
 東大や京大の教授により、近畿説か九州説かで論じられてきてもいます。
 それだけ、歴史の専門家によって検証されても、なお結論が出ていません。
 どうしてなのでしょう。
 実は、そこには、大きな歴史の罠が仕掛けられていたのです。意図的に、邪馬台国には行き着けないように仕組まれていたところに、たどり着けない最大の要因がありました。
 私、西山恒之は、たまたま万葉集の歌を紹介する書籍に出会い、その歌の解釈に疑問を抱き、その検証をする中で、邪馬台国に至ることになりました。
 邪馬台国に至ったその軌跡を、ここにご紹介いたします。

私はこうして『邪馬台国』に到達した!

西山恒之