江戸時代から「邪馬台国論争」が繰り広げられてきていますが、未だに結論は出されていません。
東大や京大の教授により、近畿説か九州説かで論じられてきてもいます。
それだけ、歴史の専門家によって検証されても、なお結論が出ていません。
どうしてなのでしょう。
実は、そこには、大きな歴史の罠が仕掛けられていたのです。意図的に、邪馬台国には行き着けないように仕組まれていたところに、たどり着けない最大の要因がありました。
私、西山恒之は、たまたま万葉集の歌を紹介する書籍に出会い、その歌の解釈に疑問を抱き、その検証をする中で、邪馬台国に至ることになりました。
邪馬台国に至ったその軌跡を、ここにご紹介いたします。
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